津山と牛との関わり
うどん千両
岡山県津山市でホルモンうどんが誕生したのは、そもそも津山市が昔から牛や馬の流通拠点として栄えていたからであるようです。歴史的に見ても、すでに705年に津山で牛馬の市が開かれたという記録も残っています。
日本には元々牛の肉を食べるという習慣はなかったわけであり、江戸時代から明治時代になるまでは牛の肉を食べることはタブーとされていたようです。当時の牛は食肉用ではなく、もっぱら農耕用として使用されていたわけであり、農作物を作る上で非常に貴重な労働力だったのです。つまり、牛は農家にとっては非常に大事なものであったために、それを殺してその肉を食べることなどもってのほかであるという考え方が一般的だったようです。
しかし、牛の肉は栄養がありそれを食べることによって健康的になれるということも知られており、特に病気の人などがその健康を取り戻すために薬として牛の肉を食べることもあったのです。これは「養生喰い」と呼ばれています。
そして、津山市は滋賀県の彦根市と並んで、全国でも稀な「養生喰い」の本場として有名なところでもあったわけなのです。実際、日本が開国してからは多くの外国人が日本にやって来ましたが、神戸に滞在していた外国人たちは津山市にこの養生食いの習慣があったために牛肉の調達に苦労することがなかったと云われています。こういった歴史がある津山市では、ホルモンは非常に一般的なものとして受け入れられているわけなのです。